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初めてのスポーツ 〜アイススレッジホッケーへの挑戦〜

アイススレッジホッケーとは

 冬季パラリンピック唯一の団体競技、そして日本が「メダルに最も近い競技」の1つと言われる”アイススレッジホッケー”。日本にこのスポーツが入ってきて、およそ5年になる。
 現在、日本での競技人口は40人弱、国内チームは「長野サンダーバーズ」、「東京アイスバーンズ」、「北海道ベアーズ」のたった3チームだ。長野パラリンピックの前後にはテレビでも何度か取り上げられたものの、まだまだ知名度が低いスポーツである。
試合風景  アイススレッジホッケーは、わかりやすく言えば、一般に知られているアイスホッケーの”そり版”だ。スレッジと呼ばれる2枚の刃がついたそりに乗り、ゴム製円盤型のパックを両手に持ったスティックで操りながら、相手ゴールをねらう。別名”氷上の格闘技”。プレイヤーは下肢に障害を負っている人がほとんどだが、最近では障害を負っていない健常者も参加している。
 アイススレッジホッケーがプレーできるのは、言うまでもなく氷の張ったアイスリンクである。体育館のように数も多くないし、すぐにプレー出来るという訳にはいかない。そのうえ、アイススレッジホッケーで使用するスティックには”ピック”と呼ばれる刃がついており、それが氷を削ってしまうため、一般のアイスリンクではなかなか練習ができないのである。
 そうした制約のなか、自然と練習の機会は限られてしまう。だからこそ、選手たちはプレーに対して真剣そのものだ。なぜ、ここまで熱く、そして真剣になれるのだろう、と考えさせられるほどである。

最初は体力作りのため

ソリの林さん  '99−'00のシーズンイン前、1人の茶髪の若者が長野チームが練習するアイスリンクにやってきた。車椅子に乗った華奢な体。林大介さんである。
 林さんは交通事故にあって脊椎損傷になったが、それから約3年、スポーツ歴はゼロだった。

 「スポーツが大嫌いでね。中学の時は卓球部に入っていたんだけど、楽だったから入っただけ。」

 高校時代はバンドを組んで軽音部に所属していたという林さん。スポーツとは程遠い存在だった。長野パラリンピックが開催されていたちょうどその頃、長野市にあるリハビリセンターに入所していたにも関わらず、スポーツが大嫌いな林さんは国際的なスポーツの祭典を横目に見ていた。その気持ちの中には

「どうしてこんな体になってまでスポーツをしなくちゃいけないの?」

という大きな疑問があった。
 しかし、長い入院生活と2度に渡る手術で体力がどんどん落ちていくのを感じ始め、このままでは生活もままならない、と考えるようになったという。
 また、それとは別に「情報収集」という目的もあった。障害を負ってからひっそりと生きていくと決めたものの、福祉や障害者に関する情報を得るためには、障害を持っている人達との交流が必要だったのである。
 そこで、「楽しむ」ためではなく、「体力をつける」ため、そして「情報収集」のためにスポーツを始めようと考え、リハビリ担当医にスポーツをしたいという話を持ちかけた。

アイススレッジホッケーとの出会い

 最初に理学療法士に紹介されたのは、車椅子テニスだった。その練習を見学に行った林さんは、偶然ここでアイススレッジホッケーチームの1つ、「長野サンダーバーズ」の吉川守さんに出会う。
 テニス自体に魅力を感じられなかった林さんは、吉川さんに誘われるまま、長野サンダーバーズの練習を見学することにした。実は、この時点では

「アイススレッジホッケーって何?」

という状態だったのだそうだ。
 初めての見学で、わけもわからぬまま、とりあえずスレッジに乗せられる。しかし、初めて乗ったとき

「あっ、なんかおもしろそう。俺でもできそうじゃん。」

と、インスピレーションを感じた。

「このスポーツは好きになれそうだ。」

 スレッジホッケーを始める決め手となったのは、その日の帰りのミーティングだった。人に誘われたら断れない性格の林さんは、来週も来いと言われて

「また来なきゃいけないな。」

と思ったそうだが、それだけではなかった。

「プレイヤーのみんなが自分をやさしく迎えてくれた。気分転換にもなる。」

そんな思いで、次の週もリンクに足を運んだのである。

そして競技スポーツへ

試合  そうやって「体力づくり」のために練習に参加していた林さんに、ある転機が訪れた。
 それは毎年10月に行われる国内リーグ戦だった。初めて生で試合を見る。目の前に繰り広げられる激しい試合。豪快なシュートと、厳しいチェックの中で確実にパックを渡す、その地味な動きがたまらなくかっこよく感じた。

「自分もああなりたい!」

 それから、林さんの中でアイススレッジホッケーは、「体力づくり」から「スポーツ」へと変わった。自分もあの中で早くプレーが出来るようにと、練習にも気合いが入った。
 また、周囲がなんでも過保護ばくらいに手を貸す社会とは違って、自分のことは自分でやれという厳しいスポーツの世界が新鮮に感じられもした。

 「体は身障だけど、心は健常になれるんだよ。」

と、林さんは言う。事故に遭ってから自分が負った障害に泣いたことはなかった。しかし、自分の技術の足りなさに涙を流したことは、アイススレッジホッケーの練習が初めてだった。だからこそ”誉められる”喜びを感じるという。
 ”なんで、こんな体になってまでスポーツをするのだろう”と思っていた林さんは、現在2006年イタリア・トリノで開催予定の冬季パラリンピック出場を目指して練習に励んでいる。

 「今何もしていない人たちには、是非、何かを始めてみてほしい。」
 「何か違う物が見えてくるはずだから。」

そこですかさず、

「アイススレッジホッケーは競技人口が少ないから、まだまだお得だよ。」

と付け加えた。
 あこがれであり、自分の目標である先輩プレイヤー達と共に、ナショナルチームの一員としてあの大きな舞台でプレーすることが実現するようにと、今週も林さんはリンクへ向かう。ちょっと気は早いが、トリノパラリンピックが今から楽しみである。

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