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木に生るコラム

6.明日も電車に乗って

 不思議なことがある。
 地元の私鉄電車に車いすで乗れるようになってから大分時間が経つと思われるのに、同じ路線を走るJRでは一向にその気配がないことだ。車両に乗るどころか、駅舎に入ることさえままならない。

 たいそうな書き方をするなら、市場経済原理では一方が新しいサービスを始めたなら、他方もそれに追随して競争するのが同業種間では当たり前だと思う。それをしない企業は、遅かれ早かれ衰退する。

 理由は多くあるのだろう。そしてその理由を集約していくと、最後に、だいたいが金がないというところに行き着く。車いすを列車に乗せようとすると、設備の改修などに費用がかかる。それは十分に分かる。だけど、それだけではない気がする。

 簡単に言えば、意識の違い、みたいなものかもしれない。もちろん、JRの職員が私鉄よりも障害者やお年寄りに優しい気持ちを持っていない、と言うのではない。杖を使っていた時にはJRの駅員さんにもずいぶんお世話になった。ただ、それが一般的なレベルに止まっているような気がするのだ。

 大型スーパーなどの例をあげるまでもなく、最近の接客業は、障害者やお年寄りに特別に気を使ってくれるようになった。そこには、ちゃんとした専門家に訓練を受けたプロの匂いがする。この匂いが私鉄の駅員には生まれつつあるのに対して、JRの駅員にはないように思えるのだ。そしてこの違いが、車いすのまま乗れる私鉄と、乗れないJRの企業としての違いではないか。

 普通の人なら誰だって、閉まっているドアの前で車いすに乗った人間が困っていれば、ドアを開けるのを手伝ってくれる。そこまでは無理なくできる雰囲気になった。でも、運悪く回りに誰もいない時もあるものなのだ。本当なら自動ドアにしておいてほしいし、それが無理なら常に人を置いてほしい。残念ながら、JRはドアの開閉を手伝ってくれるレベルにとどまっている。

 でも、少し意地悪く皮肉な見方をするとして、JRの動きが社会一般の障害者やお年寄りに対する態度を反映しているとするなら、将来、車いすで安心してJRに乗れるようになった時、社会は理想的なものになっているのかもしれない。JRという旅客会社をそんなリトマス試験紙に例えてしまうのは失礼なことなのだろうか。

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