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木に生るコラム

1.幸福の起源

学生時代に「幸福起源」というショートショートを書いたことがあります。

道端の石は「こんなジッとしているのは嫌だ。なんとしても生き物にならなければ幸福になれない」と思い、ネズミは「こんなちっぽけな生き物は嫌だ。大きな生き物じゃないと幸福になれない」と思い、象は「こんな人間に追われる生活は嫌だ。人間じゃないと幸福になれない」と思い、サラリーマンは「毎日こき使われるのは嫌だ。どうせ生きるんなら社長にでもならなければ幸福になれない」と思い、ある社長は「こんな会社の雑用のような仕事に能力を使うのは嫌だ。どうせなら一国の大統領になって能力を最大限に使わなければ幸福にはなれない」と思い、大統領は「こんなに毎日他人の生死を決めるような決断ばかりするぐらいなら、わたしは道に落ちている石ころにでもなってしまいたい」と思う。こんな他愛もない内容だった記憶があります。

なぜ今、こんな昔に書いたものを思い出したかというと、やはり最後の大統領の判断で小さな幸福がいとも簡単に崩れてしまうという現実が続いている事実への思いが一つ。それから、最近、親戚の80歳に近いおばあさんが脳の手術のために入院し、大成功だった手術後、見舞いに訪れた人に「他の人はみんな元気にしてるのに、こんな入院をしている自分は不幸だ」と語ったという話を聞いたのが一つ。あらためて「幸福」ってなんだろうなと考えてしまったのでありました。

たしかに、このおばあさんにとっては、80歳まで生きられたという事実や、難しい手術に成功したという事実よりも、入院したという一つの事実で自分が不幸に思えたのでしょうが、おそらく世間はそう見てくれないと思います。大勢の家族に囲まれて80歳まで生き、おまけに手術に成功したんだから、あんたは幸福なんだよ。まあ、だいたいはそんな言葉が返ってくるでしょう。それが、世間の、普通の幸福観ではないでしょうか。でも、この世間一般の幸福観が不幸の源にもなるような、見方もできると思うんです。おばあさんにとっては、とにかく不幸に思えたのだから。

歩けないことは、世間一般の幸福観では、不幸の範疇に入ることです。しかし、歩けない本人にとっては、その歩けないという事実よりも、不幸の範疇に入れられてしまうことが不幸だったりします。事実は、たしかに不便ではあるけれど、生活の上から見れば年金や医療費の補助がもらえるし、移動は車いすを使えば何とかなるし、べつに不幸の範疇に入れてもらわなくてもいいようにも思えます。それより、今ならパソコン使えない方が、よほど不幸な面が多いのに、世間はパソコンを使えないことを「不幸」の範疇には入れないだろうし、そのことで年金までは払ってくれないでしょう。

一般化された幸福観から脱却するだけで、わりと簡単に幸福と不幸は入れ替わります。歩けないことはそんな不幸じゃなくなるし、おばあさんにとって入院したという事実は、とてつもない不幸になります。

ほんと、幸福観とは複雑なものです。

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