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わたしの心の言葉(テルニー編)
たましいそのものをわれわれは知ることが
できない。たましいは何かにつけて明確に
決めつけることに抵抗する。これがたましいだと
決めつけた途端に、それは消え去ってしまう
だろう。たましいそのものは捉えられないが、
たましいのはたらきそのものは、常にわれわれの
周囲に起こっており、それをある程度把握して
他人に伝えるには、ファンタジーというものが
きわめて適切な手段となるのである。
河合 隼雄 「ファンタジーを読む」(2001/12/25)
平知盛 ー「見るべき程の事は見つ」
彼は重盛たちのように戦いを避けてはいない。
平家の運命がいかなるものかを見ぬく瞳を
持ちながら、その中でベストを尽くして戦う。
それでいて、息子を殺して、思わず弱さを
さらけだす人間的な一面もある。そして
いよいよ死が迫ってくると、余裕をもって、
いさぎよい死にかたをする。命惜しさに入水に
失敗し、生き恥をさらした上で斬られた
総大将宗盛とは対照的な人物である。
永井 路子 「歴史の主役たち」(2001/12/10)
−−要するにこれだな、ひとはどんな所に
置かれても、生きているかぎりはその生きた
痕跡を刻みつけずにおかないのだな。
うまく書こうとか、人に気にいられようとか
おもうのは邪心だ。人目なぞ気にせず自分の
本当におもうことだけを正直に彫りつける、
それが文学な人だ。と、そのとき思い、そう
思うと肩から力が抜けてゆくのが判った。
中野 孝次 「無名時代の私」 (2001/12/03)
ぼくはこれまで、ものごとが今どうなって
いるのかということがまったくわかって
いなかった。ただ、なにかが起こり、またべつの
なにかが起こる。それからまたべつのなにかが、
という調子だった。そして、なんにも意味が
わからずにまごついてばかりいたのだ。けれど、
ダンによればどんなことでも、すべて一つの
流れの一部なのだそうだ。じぶんにふさわしい
やり方で流れをとらえ、そのまま流れに
のっていけばしあわせになれるのだ、と
ダンは言った。
ウィンストン・グルーム 「フォレスト・ガンプ」 (2001/11/26)
彼は実業の世界に住む人間にもはっきり二種類
あると思う時があった。ひとつは自分の考えを
持ち、場合によっては損得を超えて頑張る人間だ。
これは少数派である。もうひとつは有利に見える
側に加担できる人達である。少なくとも利益に
近づこうと努力する型である。そして川田は
人間を、卑しい奴と浪漫派に分類するのを
常とした。利益だけで動くと思える相手には
容赦しなかったから川田を理解できない人々は
恐れをなした。
辻井 喬 「虹の岬」 (2001/11/19)
「私は、人間にとっての死にもまた、毒の
うまさがあるんじゃないかと思ってます。
この毒のうまみは、そうだな、何かに
とり憑かれたときの苦痛や快感に似ている。
たとえば、若くない男女の恋愛がそうだ。
肉体も精神も、情念に引き倒されるしか
ないんだが、この負ける過程にこそ、
本当に甘い快楽の花が咲くわけでね。」
高樹 のぶ子 「サザンスコール」 (2001/11/13)
「煩悩即菩提」というような表現を耳にされた
ことがあると思いますが、煩悩にとりまかれた
われれの現実世界そのものがそのまま菩提、
つまり悟りである、煩悩という消し去らなければ
ならないと考えられてきたものが、大乗仏教に
なると、むしろ煩悩そのものによって悟りに
向かうのだという、このような考え方が
出てきます。あるいは現実世界そのままが
涅槃の世界だという考え方を示した「生死即
涅槃」という表現も同じことをあらわします。
こういう大乗仏教の考えを非常に極端に押し
進めたのが、他ならぬ密教といえるかと思います。
松長 有慶 「密教とはなにか」 (2001/11/05)
花といい、月といい、雪という。物体として
それはこの世に存在している。だがそれらを
歌に詠み入れるとは、物体としての雪月花を
とらえることではない。物体ではなくて、
歌に詠むとはそれらの真実体をとらえることに
ほかならない。真実体はこの場合、実体と
呼んでもいいものかもしれない。歌はまず
物体を通過して実体へ向かう。実態への遡及は、
物体の感触よりははるかに勝っている。
高橋 英夫 「西行」 (2001/10/29)
われわれ日本人は意識を集中させると事象の中に
「静」を感じとるが、英語国人は「動」を
感じとるということかもしれない。
それはまた、われわれの自己は時間の流れの中を
現在から過去へ、過去から現在へと時に応じて
動くことができるが、英語国人の自己は
定位置を占めて動かないことだとも言えよう。
大津 栄一郎 「英語の感覚(上)」 (2001/10/22)
人に優れて勝つことがなんであろう。
天下人であろうと一国一城の主であろうと、
百姓女であろうと乞食であろうと、おなじでは
ないか。短い一生を生き、たれもが死んでゆく。
しかし権之助が感じたのは、人の世の無常では
なかった。どうせ短い生命なら、
我らしく生きたいとの強い希求である。
佐江 衆一 「捨剣 夢想権之助」 (2001/10/15)
これから先、お前たちが背負って生きぬいてゆく
社会には「本来あるべき自分になれない」
「本来持つべきものが持てない」という憤懣を、
爆発的に、凶暴な力でもって清算するーという
形で犯罪をおかす人間があまた満ちあふれる
ことになるだろう。
宮部 みゆき 「火車」 (2001/10/01)
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